2008年06月21日

変化と進化のはざま

 岩手・宮城内陸地震が発生してから今朝でちょうど1週間となりました。Asahi.comの報道によれば、死者12人、行方不明者10人、けが人312人、全半壊10棟、一部破損379棟で、311人が避難所暮らしをしており、解除の見通しは立っていないとのことです。先月12日に起きた中国四川省での大地震に続いて、大規模な被害状況が報告されるのをみるにつけ、あることに気付きました。

 それは、「失うものが大きい人は変化を好まない」ということです。もちろん、地震で自宅や職場などを失うような変化を好む人は誰もいないはずで、被災された方々には、ほんとうにお気の毒だと思います。そう述べた舌の根も乾かないうちに次のように述べるのは心苦しくもあるのですが、この「地震による変化」は、一方ではビジネスチャンスになる人もいるということです。

 最近の地震でよく聞かされることは、「地震の空白域だった」ということ。明日はわが身かもしれないと思うのです。すると、「頑張って手に入れた自宅がダメになったら…ローンだけが残るな…」と考えてしまいます。これは、賃貸住宅に住んでいた頃には考えなかったことでしょう。
 つまり、「失うものがない人は、変化を求める」とも言えそうです。そこには、チャンスをつかみたい!との思いが滲み出ています。些細な変化でも見逃さずにチャンスとし、自分の生活や社会環境を豊かにしたいというのは自然な感情でもあります。
 ところが、ある程度豊かになり“持てる者”となったとき、それ以上の変化はともすると、せっかく手に入れたものを失う恐れに転換します。

 バブル崩壊以降、長引いた経済低迷を打破する名目もあり、小泉内閣時代には盛んに「改革」が叫ばれました。そして実際にいくつかの大きな“変化”もありました。その取組みに際しては、既得権益を持っている勢力からの抵抗も少なからずあったようです。そしてこれは人間としての防衛本能によるものでもあります。
 従って、私が上で「気付いた」と述べたことは、大発見でもなんでもなく、以前からそれなりに知られていたことでした。

 にもかかわらず敢えてここで取り上げたのは、「失うものがある人も、変化を求める必要がある」ということを考えたかったからです。変化を求めなければ、個人でも会社でも日常がマンネリ化し、やがては衰退の道を辿るでしょう。
 なかには、“持てる者”がより多くのものを求めて変化を起こす例もないわけではありません。変化を求めると言っても、故意な破壊活動(戦争がこの最たるものとして当てはまる場合もありそうです)が良いとは言えません。いたずらに不幸な人々を生ずることなく、変化させる(…これをここでは“進化”と呼ぶことにします)のが望ましい姿です。

 こう考えてみると、“変化”と“進化”の間には大きな違いがあることに気付きます。“変化”は、どちらかと言えば自分の外側で起こり自分に影響が及ぶというニュアンスが強いのですが、“進化”は、自分が内側から求めなければ起こらないのではないか。そこには何がしかの「動機」や「勇気」が必要です。
 良い意味での変化、つまり“進化”は、「失うものの有無にかかわらず」私たち、とりわけ先進国と言われている国々の人たちが取り組まなければならないことではないでしょうか。


posted by のほほん at 12:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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