これを読んで、日本人の“常識?”と世界の“常識”は、それほどまでに違うものなのか…ということがよくわかりました。否、実際に体験したわけではありませんので、「“そうらしい”ということを知った」というくらいの書き方が適当かもしれません。
その組織(ITU)では、職員は徹底して「個人主義」で、日本流の協調主義は全く通じないというようなことが書かれています。
<以下、引用>
その時その時、勝てば官軍なのだ。そんな冷徹な社会だとしっかり認識すべき半面で、自分も同じように振る舞ってはその他大勢と同レベルに落ちてしまう。矛盾するようだが、日本人のモラルの高さ、勤勉さ、潔癖さなどは捨ててはいけない。したたかさを身につけ、仲間を増やすことだ。
同じ東アジアの中国や韓国と組めないようでは話にならない。国際社会で何かをなし遂げたいと思ったら、強烈に自己主張し、しつこく訴え続けなければ相手にされない。容赦ない競争と実力主義の厳しい世界だからこそ、必死に努力すればそれだけ結果が得られる可能性もある。<引用終わり>
この新聞記事には、「日本は“脱お人よし”の覚悟が先決」との編集委員の言葉が添えられております。先ほど“常識”という言葉を使いましたが、この表現ではまだ適切に対応できないような気がしてきました。
むしろ、「“国際ルール”はそうなっているのだ」、と割り切ったほうが良いようです。その上でもなお、「卑劣になるな」と、内海氏は述べております。正に「武士道」の精神にもつながるかのような提言と感じられました。
そう言えば、この話と比べれば極めてささやかではあるが、私にも類似の状況に出合った記憶が蘇ってきました。
10年ほど前のことですが、当時住んでいたマンションの隣の住戸に、アメリカ人の独身女性が引越してきました。容姿は全く日本人で、聞けば、ご両親も日本人とのこと。しかし本人は生まれも育ちも(もちろん国籍も)アメリカ人でした。
賃貸マンションで、近くに大家さんが住んでおりましたが、彼女はいつも大家さんとペットのことで議論が絶えなかったようです。
入居の条件として、ペットは禁止という契約内容のはずでしたが、彼女は猫を2匹飼っておりました。大家さんからいくら指摘を受けても、彼女は徹底して自己主張を続けていたようです。同じ日本人の顔をしているだけに、隣人の私としては違和感があったことを思い出しました。
彼女にしてみれば、単身日本にやってきて、自分で部屋を探し、曲がりなりにも生計を立てるだけの仕事を見つけ、必死に生活していて、唯一の癒しとなるのがそのペットだったのだろうと思います。